わたしの帰る場所
また母が入院した。
今年に入って二度目の入院だ。
今回は尿路感染からの腎盂腎炎。
39度もの高熱は高齢の身体に随分堪えただろう。
もう89歳なのだから仕方ないと思ってみても、自分の母親が終着駅に近付いているのを実感するのは辛い。
父を高校3年生の時に亡くして以来、私はずっと母を心の拠り所にして生きてきた。進学や結婚で転居し物理的に遠くなる事はあっても、私には母がいるという心強さが常に私を支えてくれていた。
大学を退学した時も、子どもを連れて離婚した時も、母だけは私を護り私の選択を肯定してくれた。例え全世界が私を否定する事になっても、母だけは力強く全力で肯定してくれるだろうという確信が、いつも私をギリギリのところで救ってくれた。
42歳で未婚のまま私を産んだ母は、私の想像などとても及ばないような苦労をしてきただろう。苦労なんて言葉は母の人生に似つかわしくないのだけれど、他に言葉が見当たらない。
いま、暖かい病院の清潔なベッドで横になっている母は、ハッとするほど無垢で優しい顔をしている。私が娘であることは分かっているようだけれど、話している内容は私が幼い子どもの頃の事で、ご飯はちゃんと食べたのか、寒くはないか、家の鍵をちゃんと閉めたか…そんなことを、ぽつりぽつりと尋ねてくる。そっと手を伸ばすと皺だらけの柔らかい手で包み込んでくれる。泣きたいくらい淋しいのに、心の中は大きな安心感と優しい気持ちで満たされていて、ちょっと意味が分からない。
砂時計はさらさらと落ち続けている。
残された時間で私に出来ることって何だろう。